【インドネシアに生きる】余生はインドネシアと共に バティックを着た仕事師(4)

永眠の地はインドネシアと決めている。だから余生はインドネシアと共に。仕事の スタイルは再婚しても一向に変わらないが、好きな音楽に耳を傾け、句作に興じる ことで、心に余裕を持たせるきっかけができた。家の周辺の住民とは向こう三軒両 隣のつき合い。顔見知りと道で出会い、日焼けした顔に白い歯を見せられると、「 彼らのために何ができるか」と自問する。バティックを着て風呂敷を手にした柴田 紹朔さん(85)は、きょうも夜明け前に家をあとにする。(大住昭)

平日は毎日、夜中の2時に起きてパソコンに向かい、メールをチェックする。日本 からの仕事がらみのものがあれば、インドネシア語に翻訳し、出社してから関係者 に渡す。それを会議に使うこともある。

4時半にお手伝いさんが用意してくれた朝食を済ませ、6時には家を出る。ジャカ ルタ西郊のカラワン工業団地をはじめ数カ所を回り、日中は働きづめだ。
寝るのはだいたい夜9時。仕事が立て込むと、たまに11時過ぎまで起きているが 、2時起床は崩さない。寝不足は車の中で十分解消できる。お抱えのドライバーに よると、1日平均の走行距離は約150キロ。悪評高い道路渋滞を勘案すると、相当な 距離になる。

■酢とショウガとサンバルと

ジャカルタの夜景を楽しむことができる高層ビルのレストランで2回目にお会いし たときは、風邪気味だったようだ。それでも「仕事が趣味です」と言い切る柴田さ んは、強く明るく次のように話した。

「わたしの年でちょっと横になったりすると、すぐに体がだらけてしまいます。そ のことは自分でもよくわかっているので、1日も休まないようにしています。寝込 んでしまえば、おそらく一巻の終わりでしょうね。だから、そうならないよう気を つけています」

週末にはこれとあれをやると、平日に仕事をしながら計画を立てている。そうしな いと間に合わない。週末を完全に休んでしまうと、あとで自分の首を絞めるのがわ かっているからだ。だから休まない。

話の途中、「いつまでやるんですか」と聞いてみた。柴田さんはこのぶしつけな問 いかけに「そりゃもう、やれるところまでやりますよ。やらないより、やってるほ うが有意義だし、楽しいですから」と笑顔で答えた。

インドネシアに駐在する日本人は通常、1年間有効の滞在許可証(KITAS)を 取得する。アドバイザーとして勤務する接着剤メーカーが2016年にそれを申請する と、当局から問い合わせがあり、「80代半ばで働いている日本人なんて、ほんとに いるのか」と質問された。

一方で、仕事仲間である移民局の元高官からは「インドネシア人の女性と一緒に暮 らしているようだけど、結婚しているのか」と聞かれる。法律に照らして婚姻届も きちっと出していると答えると、元高官は「それなら大丈夫。永住権が取得できる よ」と言った。

しばらくして家に調査に来た移民局の係官から、「けっこうなお年になられますけ ど、何を食べているんですか」と聞かれた。
「この20年、毎朝、水で薄めた酢を飲んでいます」と答えると、係官は「えっ、お 酢ですか」と言ったきり、黙ってしまった。化学成分を混ぜず、リンゴやブドウか らつくった天然ものの酢を飲むとともに、酢につけてスライスしたショウガをパン にはさんだり、おかゆに入れたりして朝食にしている。

どんな食事にも辛味調味料のサンバルをかけるが、これも熱い南国で自分に気合い を入れる柴田さん流の健康法なのかもしれない。

■楽な仕事なんてない

これまでに患った大病といえば、心臓弁膜症と前立腺ガン。前者は生体弁の移植手 術を受けて事なきを得たが、後者は本人によると15年来の旧友だ。
「友だちみたいなもので、仕事で忙しいときなどは、『おいガンよ、ちょっとおと なしくしていてくれよな。おれがくたばったら、お前だって死んじゃうんだから』 と言い聞かせているんですよ」
年齢とは妥協したくないが、仕事は肉体的にも精神的にもしんどくて苦しい。楽な 仕事なんてない。どうせ苦しいのなら、途中でギブアップせず、苦しみのどん底ま でつき合ってやろうじゃないか。そうすれば何か新しいものが出てくるかもしれな い、と思っている。

ビジネスで個人的に成功したいという気持ちは、さすがにもうない。ただ、誰かに 手伝ってほしいと頼まれれば、これまでの経験から一番よい方法や仕組みを考え、 それを実現することに全力投球したい。それでムキになり、てんてこ舞いになって いると、「あれっ、おれはいったい、何をしてるんだろう」との思いがよぎるとき もある。

「余裕がないとき、人間はがさつになりますね。だから、がさつな判断しかできま せん。それではダメです。朝起きて花を見て、きれいだなあと思い、いい音楽を聴 いて幸せだなあと思えるだけの心のゆとりがほしいですね」 仕事に振り回され、混線して煮つまったときは、心の中に自然の涼風を通すように している。そうやって発想や考え方を転換する。もう一度、整理してみよう。自分 を突き放し、客体化してやり直すようにしている。

2014年7月、インドネシア人の友人とジャカルタで(NNA撮影)

■一日一句を日課に

朝6時過ぎに車が高速道路に入ると、朝もやの向こうから南国の太陽が昇ってくる 。じつに神秘的で、神々しい。
「ああ、きょうもご来光を拝むことができた。よーし、きょう1日もがんばろうと 、心静かに自分に言い聞かせています」
車の中ではよく音楽に耳を傾ける。このところ気に入っているのは賛美歌の「アメ イジング・グレイス」だ。毎朝これを聴いては心を清め、元気をもらっている。
いつだったか、NHKのテレビ番組で小学校の先生が「一日一句」を生徒の夏休み の宿題にするのを見た。「子供たちにできるのなら、自分にできないことはないだ ろう」と、毎日、一句をひねり出すことを日課にしている。「人様にはとてもお見 せできない駄句ばかりで、年寄りの悪ふざけです」と固辞されたが、強引にいくつ かを見せてもらった。

今の我 帰る家なく 国もなし
予定表 眺めてうなる 老いし我
雲流れ 我も流れて 行く果ては
マラッカの 島々結ぶ 夕日帯
コーランの 声に覆わる ジャワの街
自分の境遇や風景を詠んだ句が多いが、17年2月に白内障にかかった目を手術した あと、眼帯が取れたときの一句は壮大だ。

天曰く 新しい目で 世を観よと 筆者は個人的に、1月7日の人日(じんじつ)の節句に詠んだという次の一句が好 きだ。

七草に サンバル入れた 粥すする

■一期一会の夜

ジャカルタのいまの住居はインドネシア人街の中にある。店の主人や交通整理で日 銭を稼ぐ若者のほか、街角にたむろするヤクザ連中とも顔なじみで、柴田さんが通 るときは手を上げてあいさつしてくれる。その様子を横目で見るインドネシア人の 仕事仲間は「あんな連中にまで顔が知れているのか」と驚くが、向こう三軒両隣を 地で行く柴田さんにしてみれば、あたりまえのことのようだ。

週末は家から30分ほど歩いてプールに行く。これまでのインドネシア暮らしの経験 から、一人歩きの危険性は十分承知しているが、路上で顔を合わすと、白い歯を丸 出しにする地域の住民がいる。

その道中、どぶ川でゴミ掃除をする顔見知りと目が合うと、「ようっ!」と手を上 げて声をかける。すると相手も同じように「ようっ!」と応じる。ポケットから小 銭を取り出して、「これでメシでも食えや!」と言うと、相手は満面の笑顔を見せ る。

柴田さんは、インドネシアを丸ごと象徴するかのような、日焼けしたその笑顔に出 会うのが楽しみだ。彼らのために、自分は何ができるのだろうと、内心では考えて いる。

16年の9月下旬、高層ビルのレストランでジャカルタの夜景を見ながら、柴田さん と食事した。同席者はインドネシア暮らしが22年になるNNAジャカルタ支局の山 本麻紀子記者。筆者に柴田さんを引き合わせてくれた彼女に感謝しつつ、一期一会 の夜を楽しんだ。

食事を終えて階下で別れるとき、柴田さんが乗り込む車を2人で見送った。そこに 一陣の心地よい夜風が吹く。柴田さんが41年前、飛行機のタラップを降りるときに 頬に当たったというのは、こんな風のことだろうかと思った。(完)

※この連載特集【インドネシアに生きる】は、弊紙NNAインドネシア版の創刊20 周年に合わせて2016年9月末から始まり、今回の柴田紹朔さんを含めてこれまでに 9人の方々に登場していただきました。ほかにもインドネシアと共に生きてこられ た大勢の方々を紹介したいのはやまやまですが、半年の連載期限を迎え、ひとまず 終了します。この間のご愛読、ありがとうございました。